マチュピチュ,インカトレイル体験記(内容・行き方・感想)

マチュピチュ、インカトレイルツアーにたった一人で参加した体験日記と、行き方や内容、感想などについてまとめてみました。26歳(男)。

3泊4日でインカトレイルを通りマチュピチュヘ!夢のツアー体験記

マチュピチュに行きたいという人は今やとても多いですよね。一大観光地ですからね~。

でも、せっかくならインカ時代に使われていた道“インカトレイル”を歩いてマチュピチュに行きたい!

という人はそう多くないのではないでしょうか。

しかし、どうせなら他の人と違う行き方をしてみたいし、当時の人が歩いた道と同じ道を行きたいと思いませんか?

少なくとも私はそう思ってしまったのですw

ですが、この「インカトレイル」に関する情報ってネット上にもあまりありませんでした。

そこで、このページでは、「マチュピチュにインカトレイルを通って歩いて行きたい!」という方のために、私が選んだツアーやその時の体験記(実際どうだったか)を書いておこうと思います。

これから、インカトレイルを通ってマチュピチュに行きたいと思っている方、あるいはちょっと迷っているという方の少しでも参考になればと思います。

合計4日間の旅の記録でもあるので結構長くなっていますが、時間のあるときを見つけて少しずつでもいいので読んでいただけると嬉しいです。

◆私が選んだ、インカトレイルツアーについて!

私は、日通ペリカントラベルネットという旅行会社の「3泊4日のインカトレイル」ツアーに一人で参加しました。

しかし、現在(2017年5月)、このツアーはペリカントラベルでは扱っていないようです。残念。。

でも、他の旅行会社でインカトレイルツアーは扱っているところがあるのでご安心を。

例えば、ベルトラ(Veltra)なんかが安めで質もよさそうですよ。

古代インカ道をたどるトレッキングツアーが650USDです↓

>>「VELTRA」で楽しむペルー現地ツアーはコチラ

因みに、インカトレイルを歩くには、公認のガイドの同伴が必要です。また、許可なくインカトレイルに入ることもできません。

なので、個人で行くことはできず、事前にガイドを予約し、トレイルに入るための許可証を取らないといけないのですが、ツアーに参加すれば、そういった面倒なことは全てやってくれますよ。

あと、ツアーは日本にいるときに、ネットから簡単に予約することができましたし、分からないことはメールで何度か質問し、納得した上で予約を入れることができました。

それで、これから、このツアーが実際どんな感じだったのかをつらつらと書いていこうと思うのですが、結論から言うと、私が参加したツアーの英語ガイドの方はとても親切で紳士的だったし、私が英語が聞き取れない時は分かるまでゆっくりと話してくれました。

そして、肝心のツアーは体力的には少々きつかったですが、マチュピチュに着いたときの達成感は凄くありましたし、実際のマチュピチュも素晴らしかったので、とても満足なツアーでした。

 

因みに、私はこの日程で行きました↓

2014年1月13日~1月16日

 

◆インカトレイルの行程を地図で確認

さてさて、早速、インカトレイルの説明をしていきますね。まずは、インカトレイルのルートについてです。

3泊4日で行くツアーの場合、出発地は「82km地点」というところです。そして、ゴールのマチュピチュまでに3つのキャンプ地でテント泊を行います。

因みに、1泊2日で行くツアーもあるようですが、せっかくなら3泊4日のツアーが私としてはおすすめです。

下の図には各地点間に私が要した時間を載せておきました。休憩時間も含んだ時間になっていので、歩く時間はこれよりも少し短くなりますが決して楽ではな道のりではないと思いました。

1日目の歩行時間が4時間、2日目が8時間30分、3日目が7時間30分、4日目が2時間です。

なので、2日目と3日目がきついですw

あと、標高に着いてですが、出発地の82km地点は2600m、途中最高4230mまで標高が上がり、その後は下ってマチュピチュ自体は2430mです。クスコ(3350m)から来ると、標高がころころ変わるのでなんか不思議というか面白い感じになりますw

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こちらがトレイルの入口で貰った地図です↓

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>>クスコ市内の「ホテルの探し方」と「おすすめホテル」の記事はこちら

マチュピチュ、インカトレイル0日目(説明と準備)

日本を出発し、クスコに着いた初日はクスコのホテルで一泊しました。

このときに、ツアーガイドの人が自分の泊まっているホテルまで来て、明日からのツアーに関する説明をしにきてくれます。

さすがに、いきなり3泊4日のツアーにぶっつけで行くのはお互いに心配ですからね。

因みに、このとき、ツアーに同行する英語ガイドフーリョさんと、日本語が話せる通訳の方が一緒に来てくれていたので、聞き取れないところはその都度その人に通訳してもらいました。

私は英語がまるっきりできないので、ほぼ100%通訳してもらうことになったのですがw

この事前の説明で、ルートの説明や持ち物について確認できるので不安だらけの私にとってはとてもありがたかったです。

この説明の後、私はトレッキングポール(登山用の杖)を買いに行きました。1本900円くらいで買えたと思います。

杖はあった方が楽です。

あと、高山病を心配していらっしゃる方も多いと思いますが、日本からいきなりクスコに来る場合、何かしらの症状は出ると思っておいた方がいいです。

私も、高山病は凄くおそれていて、これにかかったらトレッキングどころではないので、日本にいるときから、マスクをしてランニングをしたり、マスクをつけたまま寝てみたりと、普段から酸素を少なくする生活をしてみたりと、対策はいろいろやったのですが、いざクスコに来ると、やはり軽い高山病になりました。

頭が痛くて、少し気持ち悪い感じで、普通の道でも息がきれるような感じでした。

なので、初日は、現地の空港の薬局で買っておいた高山病の薬を飲み、水やコカ茶などを飲みつつ、ひたすら安静にして体が順応するのを待ちました。

マチュピチュ、インカトレイル1日目「クスコ(宿)→キャンプ地1」

さてさて、ペルーに来て一夜たち、多少の高度順応はできたのですが、やはりまだ気持ち悪い感じがあり、この先のトレッキングがとても不安なまま、いよいよツアースタートしました。

ここからは、体験記となりますので、結構細かいことまでだらだら書いていきますのでご注意を。

▻ホテルから82km地点という場所まで(バスで移動)

宿で朝食すませ、英語ガイドのフーリョさんがホテルまで迎えに来てくれて、2人で宿を出発。バスが来るという場所まで歩きました。

私は実は海外旅行はこれで2回目で前回はアメリカで、しかもそれはつい1週間前に行ったばかりw

そのアメリカ旅もペルーのこのインカトレイルを一人で行くための準備と位置づけた旅だったので、自分でも驚くほどハードでわけのわからないプランを設定したなぁと思います。

どういうことか分かります?

つまりこういうこと↓

日本⇒アメリカ⇒日本

その一週間後、

日本⇒ペルー(現在)

ということです。

 

なので、海外というものにはまだ全然慣れておらず、外人というのにも慣れていないため、ガイドのフーリョにもかなり緊張していました。

でも、幸い天気は最高で、少しずつコミュニケーションとり始め少しずつだけどリラックスしていくのでした。

でもやっぱり、細かいことは質問できないため、「どんなバスに乗るのか?」とか「どこにどのくらいの時間で行くのか?」などは聞けない状態ではありました。

でも、まぁ、どれだけ待つのか分からないけど待つのは得意だと前向きになって、細かいことは考えないことに。

そして、30分程待って、うんこ臭いバスに乗り込みましたw

 

ここに座れと、フーリョさんの後ろの席に一人で座りました。どこへ行くのか良く分からないし、現地の人も混ざっていろんな人乗ってるけど、これがいったい何用のバスなのかも分からない。

そして、最初バスはなぜか街の中の同じ所をグルグル回っていて意味が分からない。

しばらくして、ようやく違う道にいよいよ出ていった。

少し、トイレに行きたいなぁと思いつつ、でも次の場所まで何分なのか、また何時間なのか分からないし、途中でトイレ行きたくなって途中で降りれるのかも分からない。

それに、トイレという言葉で通じるのか?いろいろ分からなくて結局聞けなくて一人で少し不安になる。でも、どうしようもないので、考えないことに徹っする。

ただただ、フーリョに着いていく、ただただバスに身を任せるだけ。英語を話してコミュニケーションとる余裕もないし、こんなんでいいのかと自分でも思うほど。なさけない。

これで自分の旅と言えるのかと思ったが、これが今の自分の精一杯だ。

(だけど、こんなぼろぼろの私でも、この何年か後に1年かけて世界一周の旅をしちゃうのだがw)

さて、バスの中では、外の風景の写真をとって過ごした。すごい所に来たなぁと冷静になって思うけど、歳のせいなのかそれも少し鈍感な感じ。

日本の反対側にいるとは思えないなぁ~。

 

途中、休憩所で休憩。でも、これが休憩なのか、ここからいよいよトレイル開始なのかも全然わかない状態w

でもそこはなんとなくの雰囲気で判断。

プリングルスと水買うのも一苦労、店員さんはスペイン語なのでいくらなのか全く分からない。数字くらいは勉強してこいよって話ですね、はい。。。

結局、9ソル(300円くらい)で買いました。

そしてまたバスに乗り込み田舎道を走る。ウルバンバリバーの脇の道をぐねぐね、がたがた道、細いがけっぷちも行くので怖いけど、ここは運転手の腕を信じるしかない。

 

さて、ようやく82km地点に到着したようだ。でも実は、例によってここが82km地点なのかも良く分からないwでも、荷物を持っておりたので、なんとなくここから歩いていくんだろうなと判断。

▻昼食

82km地点につき、近くにあった屋根つきの広場でどうやら昼飯を食べるらしい。自分は何したらいいか分からない。

ガイドに聞くとその辺りを散策してきたらいいよなんて言われたけど、果たして自分の飯を用意してくれているのかも実は不安だったりした。結局、1時間近く待った。

そして、自分の御飯はあったw

長いテーブルに多くの外人が腰かけていた。そこに混ぜてもらった。皆、若くてチャラい感じに見えたけど、優しい感じで席を快く開けてくれた。

飯を作る人とか、環境、器具、全て不衛生そうでとても不安になったけど、飯はとてもうまかった。パスタ、ブヨブヨだけど、お腹が減っていたのでとりあえず満足。

ご飯の後、自己紹介をした。初めて、ここにいる皆が同じグループ(ツアー客)なのだと分かった。

因みに、私以外の人は全てアルジェンティーノ(アルゼンチン人)。アルゼンチンから来た観光客。

自分だけがたった一人、日本人!めちゃくちゃアウェー感があったが、どうやら受け入れてくれた模様。

▻82km地点からいよいよトレッキング開始

日本から申し込んだのは私一人ということで、私はガイドのフーリョさんとこれからさきずっと2人で行くことに。たった2人なので、すぐに出発できるのはありがたい。他のアルゼンチン人メンバーよりも先にトレイル入口へ移動。

インカトレイルの入口(ゲート)ではパスポートと許可証を提示後、いよいよトレイル開始(因みにインカトレイルは1日に500人までしか入れないので、前もって許可をもらっておかないと入れない)。

フーリョはゆっくり行くと言っておきながら、少し速いペース。しかし、フラットな道が多く、サクサク進むので気分は良かったりする。

フーリョは終始、ゆっくりとエンジョイしながら行けばいいと言ってくれるので凄くありがたかった。途中、慣れない片言の英語でたわいもない話をした。

スポーツしてるか。家族は何人か。ペルーのスポーツは。ペルーはサッカーしかないらしい。そして、草花の説明。遺跡の説明。でも一番興味が湧いたのは、フーリョはなぜか30分に一度、鼻かむということだw

途中、現地民の家みたいな所で水を買う。そして、1日目はフラットな道が多く余裕でキャンプ地についた。歩行時間は4時間ほど。

今日は一番乗りだったが、サポータをしてくれる人たち(ポーター)の人らは既に到着しており、キャンプ地の設営をしていた。テントはほぼほぼ完成していた。

自分がポーターに預けた荷物も置いてあった。

今日は、3人用くらいはある一人にしては大きすぎるテントを一人で独占した。

それにしても大きくて広い、普通は何人かで泊まるのだろう(今回日本からたった一人だったから独占できたんだろう)。雨季にきて良かったと思ったw

テント内に魅かれていたマットはペラっペラのただのレジャーシート。容易されていたシートは汚い。ウェットシートでふくとすぐにまっ茶色なった。

自分は腰が悪いからとアウトドアショップでマットを買って適当なサイズに切って持ってきておいたが、これは持ってきて正解だった。

でもこの日のキャンプ地の地面は芝生だったのでフカフカして気持ちよかった。そして、御飯前にはティータイムとポップコーンを作ってくれたが、これがまたうまかった。

ポップコーンはツアー客にも大人気で即効でなくなったwポップコーンの人気は世界共通だなぁ。

あと、ビスケットもあった。自分専用に皿に分けてくれたりと、至れりつくせり。自分だけ日本人でしかもグループで来ているわけでもないので、みんな割と気を使ってくれている感じ。でも、英語できないのでコミュニケーションとれなくて辛い。

そして、しばらく自由時間があったのち、晩御飯を食べた。晩御飯もうまかった。この旅で心配していた飯もよく動いて腹が減っているせいか、どれも全てうまかった。その夜は、少し寒かったが、ダウンなど着込んで寝たら途中で熱くなるくらいっだった。快適に寝れた。

 

マチュピチュ、インカトレイル2日目「キャンプ地1→2」

▻朝食

朝5時に起きと言われていたので、4時に起きて全て荷物を整理して5時にはテントから荷物を出した。テントはポーターが片づけなければいけない。

そして、ポーターはツアー客がキャンプ地を出てから全てを撤収し、キャンプ地を最後に出る。しかし、次のキャンプ地にはツアー客よりも早く到着してテントなどを建て、料理を作って待っておかなければいけないからものすごく大変な仕事だ。

しかも、ポーターはテントや食料、寝袋などほぼ全ての荷物を持つため50kg以上を背負って走るように山道をかけていくのだ。彼らは本当にタフ、というか重労働だ。

朝食は、パンケーキ、トースト。マーガリン、イチゴジャムをつけて食べた。うまかった。

▻出発 キャンプ地1 → キャンプ地2

この日も、私とフーリョは他のメンバーよりも先に出発。6時前には出発した。この後、飲みものが買えるところもしばらくないというので、ゲーターレードを出発前に買っておいた。

はじめは快調に進む。しかし、だんだん標高が上がり苦しくなってくる。日本の北アルプス並みの標高(3000mほど)に来てが、まだ頭は痛くなる感じはない。

クスコが標高高かったから、ある程度順応できてきているのだろうか。因みに、クスコは標高3350mだったが、出発地の82km地点は標高が2600mなので、実はかなり標高が下がっていた。

なので、クスコで苦戦していた高山病も出発時にはかなり回復していたのである。

しかし、3000mを超えてからは、やはりちょっと階段を上っただけですぐに息が切れるようにはなってきて。

後から出発したアルゼンチン人にもどんどん抜かれた。やはり、外人の強さはすごいなと思う。

しかも外人が持ってきているカッパも簡易的な感じだし、登山靴でもなく普通の動きやすそうなスニーカーみたいな感じのものを皆履いていて、近所を散歩しに来ているような感覚に見える。

上下ちゃんとしたレインスーツでオール登山グッズをそろえて万全の体制で臨んでいる自分のスタイルが恥ずかしくなるほどだ。

さて、標高はいよいよ富士山以上(3700m以上)になり、息はかなり苦しくなった。私は以前富士山には1度だけ登ったことがあるが、やはりこの標高を超えると今までにないしんどさがある。

ちょっと上がっては休憩しないと息がもたないし、気持ち悪くなりそうな予感がする。

でも、ここで不思議なのは、3700mくらいでも木があるということ。日本だったら確実に何もない。そして、富士山より暖かいということ。動物も普通にいる。

リャマもいたし(リャマは食用ではなく、ジャガイモ運ぶ用に使うそうだ)。

そして不思議とインカ道を歩いているという実感は薄かった。なぜならば、山道は日本のアルプスの山道となんら変わらないような気もするからだ。

自分の旅っていう感覚がなくなってるのかもしれない。任せきりで、ただついていくだけのツアーというスタイルがそうさせているのかもしれない。でもまあ、今はこれが自分の力の限界でもあった。

 

自分で持ってきた荷物は5kg程度ならポーターに預けられて運んでもらえる。でも、自分はそれでも90%以上の荷物は自分で持つことにこだわっていた。

せめて、荷物くらいは自分の力で運びたいと考えたからだ。

 

この辺りから雨(小雨)が降りはじめた。ラスト100mくらいが一番しんどかったが無事にこのインカトレイルで最も標高の高い4200mのサミットに着いた。

山頂は霧、小雨、辺りは何も見えない。そして、寒く、標高が高いため気分が悪くなりそうな感じ。なので、せっかく山頂に来たがすぐに高度を下げたくて仕方なかった。

だから、すぐ出発した。ひたすら下る。下る。下る程、標高がさがり、体が楽になっていく感覚を味わった。

しかし、今日のキャンプ地は遠い。疲れがでてくる。あとちょっとがきつい。足に乳酸がたまってがくがく、ブルブル。

雨も降る。そんな中、二日目のテント場にようやく到着。歩行時間は8時間30分だった。

▻キャンプ地で少しおそめの昼食

到着すると、同じ険しい山を越え、先に到着していたみんなに祝福された。嬉しいが、自分の方が余裕の顔つきで先に出て、抜かされたことが少し悔しく恥ずかしくもあった。

到着後は御飯。昼飯。その後、テントで少し休む。夕方、ティータイム。疲れてて、少し気分も良くないし、言葉通じなくてやはり少しアウェイ感あって気がのらないがせっかくなのでと体を起こし、ティータイムへ。

ポップーンはやはり大人気。自分もここは海外と遠慮なく日本代表として負けじと奪いに行くw

皆はティータイムまでトランプで大盛り上がりしてたみたいだ。その後、またテント戻り、僕は休んだ。

夕飯になるとポーターが呼びに来てくれた。雨なのにテントの外で待っていてくれた。ライトで案内してくれたのだが、ゆっくりと準備してテントを出て行ったので、申し訳なく思った。

ポーターの人は草とか挟まったサンダルみたいなのだったり、雨具はなく、レジャーシートみたいなのかぶってるだけで、自分だったら絶対風邪ひくような格好をしている。

それが、ここの地域のスタイルなのか、お金がないのか、ポーターの人たちがどのような暮らしをしているのか、英語で聞けないもどかしさがあった。

そして、ディナー後、明日にそなえて寝た。

今日のテント場は少しななめで、雨のせいか寒かった。

 

マチュピチュ、インカトレイル3日目「キャンプ地2→3」

▻朝食、出発 → キャンプ3へ

この日は5:30に起きて、朝食食べて、7時ちょい前に出発しました。やはり、みんなよりも早くキャンプ地を出る感じ。

今日は昨日とはかわって最高の天気で、最初は登りだけど昨日より楽。小さい遺跡などもあるし、遠くには雪化粧をまとった山もある。海外の山って感じで美しい。

いよいよマチュピチュ近づいてきたなぁ~。シミジミ

途中には、綺麗な池もあった。太陽がまぶしくて気持ちよすぎる。天気、体力、体調とかいろいろ不安はあったけど、今は体調は万全、体力は問題なしで、マチュピチュは私を快く受け入れてくれている、そんな気がした。

そして、本日のサミットにつく。そこで少し休憩した。ナイスなシャッターポイントを探して散策。こんなに素晴らしい景色なのに、写真を撮ってくれる人がいなくて、基本は一人で自撮りをする感じが少し残念に思う。こういう時、友達や彼女とかいれば…w

この辺りになると、外人に話しかけられたり、話しかけたりというのも怖くなくなってくる。楽しい。嬉しい。

その後はアップダウン繰返して昼御飯のポイントへと向かう。途中、結構大きな遺跡にも立ち寄ったりもした。

快晴でとても気持ち良く、本当に素晴らしかった。昼御飯のポイントは結構遠かった。到着するころには、天気が悪くなっていた。もう数10mで昼飯ポイントという所まで来てフーリョがなぜか電話をし出した。あとちょっとじゃないの?と思った。

でも、そこが電波が一番よく入るポイントだということを後で知る。そのポイントで、私はちゃっかり家族にLINEで連絡をした。

今日は、一番のりで昼飯ポイントに到着。そこの山頂っぽいところからは下にいい感じの遺跡が見えた。霧がかかって幻想的。かっこいい。

▻ 昼食を食べて出発

しばらく待って、御飯できたというので食べる。腹ペコだったのでうますぎた。御飯終わって出発するときにもまだ誰も来ない。

近くの遺跡の周りを通る。霧の中。遺跡内の水路の水は今でも流れていた。とても綺麗で昔から今まで形を変えず残っている建物に想いを馳せる。

近くの広場にはポーターが大勢休憩していた。家族や友達に連絡して、ポーターにとって天国のような場所だとガイドのフーリョが言っていた。

さて、昼食後は石畳の道をひたすら下った。少し雨が降ってきて、石畳の美しさが一層ひきたっていた。

がしかし、途中から雨はスコールへと変わった。さすがに雨季。

結局、それは今日のキャンプ地までずっと続いた。

装備しっかりしてきて本当に良かったと思った。他の外人は、カッパから下がずぶ濡れ、靴もびしょびしょだった。

雨の中ひたすら進む。強い雨なのでどこかに座って休むことがなかなかできなくて、余計に疲れがたまる。

途中、ちょっとした木陰で休むけど、ウェアを着ていても少しずつ体も濡れてくる感じで寒くもなってくる。体は全然休まらない。

全然雨やむ気配ないので、仕方なく進む。そしてやっとの思いでキャンプに着いた。今日は途中からずっと雨で結構疲れた。

こんな雨だからテント場はきっとぐちゃぐちゃだろうなと想像していたが、キャンプ地に着きしばらく待った後、ボロイ公民館みたいな所に案内された。

汚い、ほこり臭くて狭い部屋に、ちょこんとテントを張ってくれていた。今日はここで寝るという。自分は1人用のテント内で、フーリョはその外でテントもなしで寝た。フーリョに少し申し訳ない気持ちで自分はテント内で寝た。

その建物はトイレも臭くて全体的に汚かったが贅沢は言えない。雨風をしのげるだけでもありがたい思わなくてはいけない。たぶん、きっと他のメンバーは外のテントで一夜を明かしているのではないかと思った。

因みに、他のメンバーは今日、出発するときに顔を合わせたのが最後となった。晩御飯も雨が強かったせいか別々で、次の日も別行動だったので、今後会うことはなかった。(もっと話しておけばなぁと後になって後悔することになった)

そして晩御飯をフーリョと二人で食べた後は、これでポーターはお別れということでチップを渡した。あげなくてもいいしあげなくてもいいとフーリョには言われたけど、これだけ至れり尽くせりでやってくれたのだからと5ソルだけ渡した。

ポーターに感謝を伝えるが、なんか、自分の方が裕福なような気がしてならない。でも多分、明らかにそうなのだろう。相手は自分よりもはるかに年上。なんとも言えない複雑な気持ち。

その後、すぐに就寝。床がコンクリートなので硬くて寝苦しかったけど、部屋の中は外より暖かくてまぁまぁ寝れた。

 

マチュピチュ、インカトレイル4日目「キャンプ3→マチュピチュ

さて、今日はいよいよ最終日。泣いても笑ってもこれがラスト。そして、いよいよ憧れのマチュピチュ

今日は、御来光を見るということで3:30に起きた。ポーターはすぐ出発するらしく、テントを片づけ始める。外へ出て、サービスだというトースト(チーズイン)をもらい、食べた。

今日も、あいにくの雨のため、少しゆっくりしろと言われ、椅子に座って待った。例によってどのくらい待つか分からない。

しばらくすると、管理人っぽい人が少し怒っている模様。昨夜は特別に泊めてもらえたのだろうか、もう出ろと言われた(タブん)。

英語ができれば、こういうことももっと聞けるのに。。。相手の親切を確かめられないもどかしさ。くそー。

そして、外へ出て、屋根の下で、ひたすら立って待つ。屋根と言ってもちょっとしたものなので、雨がポツポツとあたってくるし、座れる場所もないのでリュックも背負ったままただただ待つ。

荷物も背負った状態だったので、トイレも我慢。ポーターや別の団体はヘッドライトして出発しているが、フーリョが待てというのでそれを信じる。きっとこの天気だから、ここで待つ方がいいのだろう。

1時間以上は待っただろうか。だいぶ明るくなってきたが、今日はこの雨なので御来光は諦めることになった。そして、ついにスタート。

いつになく急ぐフーリョ。少し行くと、マチュピチュ公園内にはいるためのゲートがあった。みんなそこに並んでいた。

そこをすぎて、しばらくすると、細い道があってそこは渋滞してつまっていた。そこを抜けると少しだけ広くなったので、ガンガン進んだ。あともう少しでマチュピチュだ!っと気が焦る。

最後の方、かなり急な登り。滑ったら危ないようなところもあった。そしてその急な登りを抜けるとついに「太陽の門、インティプンク」に到着。

すると、フーリョにあそこにマチュピチュあるぞ!と言われ、その方向をみると、マチュピチュがあった!!!不意打ちだった。

霧の中にたたずむマチュピチュ。凄いの一言。

日本にいるときから思い描いていた「伝説のような古都市まで、自分の足で来れた」という想いも込みあげてくる。ようやく、この地にこれたよ~。

いろいろな感動が廻った。

そして、幻想的な霧の中、いざマチュピチュの中へと足を踏み入れていった。

小雨で石は濡れ、神秘的な感じがまたいい。心の奥で、ついにあの憧れの古都市に来たという思いをかみしめながら歩いた。

少し歩くと。あのマチュピチュ、よく写真で見るマチュピチュの姿が目に飛び込んできた。スゲー。かっこいい。急いで、写真を撮る。丁度、霧が晴れ、しっとりと黒く趣ある姿で、堂々たる姿が顔を出したのだ。

しかし、どうだ俺の姿はという自慢げな主張はいっさいなく、ひっそりとした心をマチュピチュは持っている感じがした。

自分なんか比べものにならない程の幾度の年を重ねてきたであろうマチュピチュに脱帽。

マチュピチュ内での散策

その後、でかいリュックではマチュピチュ内の散策できないそうなので、一旦遺跡の外へ出る。一旦外へ出るとトイレに行った。マチュピチュ内はトイレなく、ここ一つしかないそうだ。

そのため、特に女性は混む。男性も大きい方がたった一つの便器しかないので、長打の列。マチュピチュなんて人気スポットなのに、トイレ一個でしかも便座一つってそりゃ混むでしょw

しかし、トレペは小さいのがちゃんとあったの良かった。因みにトイレ利用料は1ソル。

その後、マチュピチュからクスコ駅までは自分で帰らなければいけないそうで、フーリョに帰り方を教えてもらった。入念に紙に書いてゆっくりと理解するまで教えてくれた。ありがたかった。

そして、いよいよパスポートとチケット見せて遺跡に再入場。入場してすぐ脇にある荷物預けるところに荷物を3ソルで荷物を預けた。

その後、マチュピチュ内を1時間ほど、フーリョさんに説明してもらいながら一緒に歩いた。マチュピチュについては事前に歩き方の本などを読んでいたので、言っていることはなんとなくわかった。

主要なところを見て周ったのち、突然のフーリョとの別れ。後は自由時間で自分で好きに見て周れと言われた。

最後に写真を一緒に撮ってもらって、感謝を伝える。しかし、Thank you very much.程度の英語しか言えない。

もっと細かい感情まで伝えられたらと思った。今回の旅でもそうだが、感謝を伝えられないことがすごく辛く、悔しい。

あと、途中まで一緒だったメンバーにも結局遺跡内でも会わず、遺跡に到着したこと気持ちを共有することと、別れのあいさつできなかった。今になって寂しい気持ち。次海外来るときは絶対英語マスターしてから来たいと思った。

 

さて、自由時間は約5時間も満喫する時間があったので、ここにきてとてもワクワクしてきた。重い荷物も預けたしほぼ手ぶらで遺跡内を探検。

とりあえず、一通り見て周った。その時に周る順路というか方向が決められているため、間違えると至る所に立っている人に注意される。

何かゴミを捨てた人とか、入ったら行けないところに入った人がいるとピーっと笛を鳴らされてつまみ出される。その辺りは厳重だった。

当時の人は何を思いながら、どのように暮らしていたのかに思いをはせた。タイムマシーンあったらなぁとか。目をつむって念じて、ふと目を開いたら当時に行けてたりしないかなぁとか思って試したりする。子供じみたことだけど、そのくらい当時の暮らしに興味が湧いたのである。

一通り見て堪能した後は、遺跡が綺麗に見渡せるナイスな写真スポットを探すことに時間を注いだ。

余裕こいてほぼ手ぶらで来たため、ものすごくのどが渇いた。腹も減ってきた。だが、そこは我慢。時々、日本人もちらほらいた。

日本語ガイドのツアーばかり。自分は歩いてきて、今一人で楽しんでるぜと少し誇らしげになる自分がいる。我ながらなんて小さい人間なのだろうw

これだけ日本から離れている場所ことを考えると、その割に日本人はかなりいる。そして、やっぱり日本人に人気なんだろうなと思う。そして、それをペルーの人或いは南米の人は知っているのか分からないが、その辺にいる外人にお前日本人かとすぐにあてられる。

 

フーリョの言っていた眺めがオススメという上の見張り台に行った。確かに眺め格別。ここで、雨と霧がなくなるのをただ待つ。端っこに座ってただただ待つ。40-50分程まつ。待っている間、いろいろ考える。

写真はおじちゃんおばちゃん系に頼んだ。お年寄りはどこの国でも親切な人多くて幸せな気持ちになる。グッドのサインは万国共通。あと、ブラジル人が多い。そしてやはりそこでもお前日本人かと言われた。

景色、写真撮影も堪能し腰を据えて休めるポイント(眺めの良い)ところを探し、段々畑みたいなところが最高だった。遺跡みながらゆっくりする人たちがチラホラいた。

自分もそこでゆっくり遺跡みながら休憩。とても気持ちい。天気はいつの間にか快晴になっていて、太陽が近くて眩しく、夢の中にいるような感覚になってくる。

ついこないだまで、朝から晩まで仕事ばかりしていた生活からは想像もできないような世界。あまりに違いすぎる世界。

しかし、これも現実。この現実を精一杯目に焼き付けたいって。心に焼き付けたいって思った。そして、眼下にはウルバンバリバー。アマゾン川のような、日本ではまず見ないような川が遥か下にゴウゴウと流れていた。少し身を投げだしたら、そこへ落ちていってしまいそうなくらい。吸い込まれそうな感じがした。

それだけ、急こう配の山の上に遺跡はある。本当にすごいところにあると思ったし、下から見てもこれは分からないなぁって。なんか、すごくロマンがある。秘密基地のようなワクワク感。そんな想いでぼーっと眺めたり、少し昼寝したりして、ゆっくり過ごす。

周りも気づいたら最初より増えていて、自分と同じように寝てる人もたくさんいた。そして、標高が高いので太陽がジリジリ照りつけて一瞬で焼ける。

その後、喉もすごく乾いたしお腹もすいたので遺跡を出た。

▻遺跡の外で休憩後、帰宅

遺跡の外にはオープンカフェ的なところがあった。そこでチキンサンドとオレンジジュース頼む。濡れていたリュック乾かしたかったため、店の外で食べた。

するとどこからともなく臭い犬が何匹か寄ってきたので、間違っても私のように外で食べない方が無難ですw

お腹も満たされたし、そろそろ時間なのでバスに乗って下山することに。

バスは結構人が並んでたけど(14時頃。混む時間帯かなぁ)、15~30分くらいで割とすぐに乗れた。

本数は割と多い。バスは駅まで25分くらいだと聞いていたけど、乗って5分くらいでなぜか降ろされるてしまった。

なんで?と思いながら他の乗客の後をついて行くと、カーブのところががけ崩れをおこしていてふさがっていた。

そこを迂回して少しだけ下ると別のバスを待つ人々たちが並んでいたので、私もそこに並んだ。

そこで10分くらい待って。違うバスに乗車。

後で知ったのだが、このがけ崩れのことは日本でもニュースになっていたようで、会社の人が心配したと後で言っていた。

とりあえず、40分くらいかかったけど、通れてよかった。そして、バスここで降りるの?と思いながらなんとなくで多くの人が降りるところで降りたw

周りにいろいろと店がならんで綺麗なレストランも多い。

これがマチュピチュ村か~。

しかし、電車の駅がどこなのか分からない。

お土産も買いたい気もしたが時間もあまりないので駅を探索を優先した。

とりあえず観光客っぽい集団の後についていく。駅っぽい建物を無事に発見し、駅員っぽい人に聞くと、ここだと言われたのでとりあえず一安心。

フーリュにすぐわかると言われてたけど、そんなすぐには分からないだと的なとこにあったw

あぶねーと思った。出発時間まではまだちょっとだけ時間もあったのでTシャツ買いに行った。

おばちゃんすごくいろいろ進めてくる。英語も微妙には通じる。少しまけて貰った。おばちゃんTシャツ一枚で嬉しそう。ここではそれでもまぁまぁな収入になるのだろうか。そして、3ソルでインカコーラ買う。甘くてうまい。はまりそう。

水も冷やしてあるのがあって(多分観光客用)3ソルで買う。

そしてパスポートを提示して駅に入った。空港かよと突っ込みを入れるが、それだけ安心できるということだ。

中は綺麗。電光掲示板などもあってなかなかクオリティ。そして、ロビーで待った。

そろそろ時間かなぁとホームに行こうと思うが、駅員にこの便はまだだと言われる。そして、次の路線の時間になって人が移動したのを見て自分も行くが、まだだと言われる。

よくよく聞くと、40~50分の遅れが生じている模様(これも確定じゃない様子)。

ロビーは人でごったがえしているし、本当にフーリョがいった場所で乗り換えなのかとか、そこで乗り換え分かるのだろうかとかいろいろ不安になった。

そして、駅員のいった通り、45分くらい遅れで自分が乗る電車が到着。

席は指定で乗り込む。

中は日本の特急列車のように綺麗で(速度は割とゆっくりで、途中遺跡とかがあったりするとさらにゆっくりになる)、機内ワゴンサービスはなく、変わりに一つの車両の後ろに小さいバーカウンターみたいなのがあって、そこに1人のスッタフがいて、電車が走っている途中にメモ用紙もって一人一人オーダーを聞いてはもどってドリンクを渡していた。

自分は無料であることを知らなかったので、断った。後で頼んでおけばよかったと後悔したw

自分が座った席は向かい合わせの席で4人の席だった。周りはブラジル人の御一行様に囲まれた。

隣には一人でそのツアーに参加しているというとてもよくしゃべる青年が座っていた。彼は英語が話せた。そしてその正面には顔の赤い小太りのこれまたしゃべりまくるおっさん(酔っ払い)。

そのおっさんは私が席に座るなり、私に握手を求めてきた。

圧倒された。一瞬で人と通じ合う力をブラジル人に感じた。非常に気さくで、日本と全然違う。初対面とか関係ない。日本人の変に人見知りをすることがすごく無駄なようにも感じる出来事だった。

そして、このおっさんは電車に乗っている間、とにかくしゃべる。マシンガントーク。そして隣の青年も同様にハイテンションで会話する。周りの同じ御一行さんたちも呆れて笑う程。

自分にも英語のできる青年を通していろいろ質問してくる。日本から何時間だと聞かれ、30時間というとマジ!?と驚いていた。ブラジルからは8時間で来れるらしい。あとは、スペイン語話せなくてどうするんだとか。

中でもおもしろかったのは、ワサビはすごいクレイジーな味だ。あれは何につけるんだ。とかwなんか日本のことを聞かれたこと、話せることを嬉しく感じた。日本にいると分からないけど、国が陸続きってどんな間隔なのだろうかと思った。

日本人からすると海外って特別な想いがするけど、他の国がすぐ隣とかにある環境にあったらそんなに大がかりな感覚ではなく、小旅行程度行けるものなのかもしれない。だけど、日本が島国だからこそ、海外行くことが大きな刺激と感動を味わえる環境なのかとも思った。

あと、ここでもやはり日本人であることはすぐにばれたw 電車は通常、クスコのポロい駅まで直通しかし、今日はがけ崩れとかがあったからなのか、途中のpacharというところで降りてバスに乗り換えるということをフーリョにきいていた。

しかし、もしこれさえの変更になっていたらどうしたらいいのだろうかと少し不安に思う。なので途中止まった駅で軽く降りて駅員に確かめる。次の駅だと言われた。

ここで、ブラジル人の一行はほとんど降りたけど、あの青年はまだいたので2人でいろいろと話した。すると、自分の泊まるホテルとその青年が泊まるホテルは目と鼻の先であることが判明。タクシーをシェアしようと言われるが、自分はツアーの人が迎えに来てくれるから無理だと断った。

次の駅で降りると、バスが用意してあった。分かり易かった。まぁまぁ綺麗なバスの中、すでに真っ暗になった道中をクスコに向けてバスが走った。隣のにいちゃんは爆睡。俺は珍しく目がさえていて、明日からの帰りのシュミレーションを行った。

バスを降りると自分の名前の書いたプレートを持った人がいて、その人と運転手の2人に送ってもらう。その人は日本語が少しできた。明日は、空港2時間前には行った方がいいとアドバイスしてくれた。

2人いるし、チップどうしようか迷う。とりあえず、1ソル×2渡す。ホテルに着くと同じホテルだったので名前も言わず、用紙への記入もなくすぐに鍵を用意してくれた。顔を覚えてくれていたことがうれしかった。

私はTierra Viva Cusco Plazaというホテルに泊まったが綺麗で従業員の対応も日本人のように親切でとても心地よかった。

部屋につくとお風呂入って、会社の先輩や家族と連絡をとって寝むりについた。

 

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